【体験談】父親の急死から数年 | やること、手続きで大変だったことを振り返る

菊の花

父親が急死して数年が経ちます。父の死というのは実感がないもので、まさか自分が30代で経験するとも思いませんでした。葬儀など「やること」「手続き」で大変だったポイントや不思議な現象(⁉)について、体験談をベースに振り返ります。

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父親の急死

今回記事を書こうと思ったのは、敬愛する志村けんさんが新型コロナウイルスによる肺炎のため、70歳で亡くなってしまったことがきっかけです。自分の中で、数年前インフルエンザの肺炎によって、70歳で急死した自分の父親の姿と重なったのです。

まさかのインフルが命取り

その日は朝から体が重く、変にソワソワした気分だったのを覚えています。しかし、この「胸騒ぎ」がいわゆる「虫の知らせ」だったのかはハッキリしません。というのも、この頃、1ヶ月の間に親戚の不幸が2回連続しており、日常的に気分が塞いでいたからです。

そんな中、近所で買い出しをしていると、実家から「お父さんが病気だから、病院に来て」と携帯に連絡が入りました。父親が病気なんて話は聞いていなかったので、にわかには信じられませんでしたが、その足で東北新幹線に飛び乗ることとなりました。

指定された病院に駆け付けたときには、午後8時くらいになっていたでしょうか。病室には呼吸困難で、まさに危篤状態の父の姿がありました。実家の家族(母・妹)と共に、祈るような気持ちでいましたが、日付が変わってすぐの頃、父は帰らぬ人となりました。

家族から話を聞くと、父は風邪をこじらせていました。馴染みの病院でインフルエンザと診断され、大病院を紹介されたそう。そして「ゆっくり養生しましょう」ということで、4日間の予定で入院していたところ、容体が急変し、退院予定日に亡くなってしまったのです。

まさか、インフルエンザで父が死んでしまうなんて、家族の誰一人として思っていませんでした(本人が一番そう思っているに違いない)

しかし、長年の喫煙で肺気腫を患い(直近10年間は禁煙生活だった)、最近めっきり体力が落ちていた父にとっては、命取りの結果となってしまったのです。

「死ぬ順番」が遺族に及ぼす影響

父の葬式の時に、お坊さんが言っていたことですが、「老少不定(ろうしょうふじょう)」という仏教の言葉があります。必ずしも老人が早く死に、若い者が後で死ぬとは定まってはいないという意味です。

実は、父は大正生まれの祖母(父の母)を残して逝ってしまったのです。

他人事目線ではそう珍しい話ではないかもしれませんが、当事者となると「そういうこともあるさ」では済まされません。目下、施設にいるおばあちゃんに、「長男(←父のこと)が亡くなった」というショッキングな出来事をどう伝えたらよいのか、近親者は悩みました。

また、祖父(父の父)はずっと以前に亡くなっていますが、「祖母→父」の順番ではなく、「父→祖母」の順番で亡くなったことにより、「墓」や「相続」など、自分にはまだまだ先の話と思っていたことに関わらざるを得なくなりました。

親が亡くなったら~手続きは大変?

もし自分の親が死んでしまったらと想像すると、葬儀や役所での手続きなど諸々のことをどんな手順でこなさなくてはいけないのか?それは大変なのか?というのが一番気になるところだと思います。

知識もヘチマもない状態で経験させられた(母親のサポート役だったので、脇で見ていただけという場面もありますが…)私が大雑把に言ってしまうと、

死後の手続きは、葬儀社が代行&サポートしてくれるので心配なし。残りの手続きは葬儀社がくれたマニュアルのおかげで何とかなった。

ということです。

手続きマニュアルについては、依頼する葬儀社のサービス次第なので何とも言えない部分はありますが、最近では親が死んだら手続きが大変だから、事前に知っておくに越したことはないというコンセプトの書籍が多数出版されています。

また、ネットの記事を検索してみれば、法律関係者が詳細に解説しているので、手続きマニュアルやチェックリストなどを知りたい方の参考になります。

私自身も一通りのことが終わった後、復習の意味で『身近な人が亡くなった後の手続きのすべて』という本を購入して、目を通してみました。

率直な感想としては、広く網羅されているため、個人的に関係のない内容があるかも。また、各項目について詳細に解説されていることが、簡単なことを逆に難しく見せてしまうかもしれないと感じました。

ただ、手元に何も無くて不安であれば、持っておいても良いと思える類です。ピンポイントで辞典的な使い方をすると便利かもしれませんね。

親の急死で大変だったこと

実際のところ、葬儀は葬儀屋が決まれば進んでいくし、手続きは手引きがあれば何とかできます。

振り返ってみて、親の急死で大変だったことは、直後の混乱状態でいろいろな問題が発生し、それらを決断をしなければいかなかったことです。

夜中でも容赦なし?病院に急かされたこと

先に書いた通り「父危篤」の連絡を受け、ほとんど着の身着のままで帰省し、病院に直行した私。実家の家族と一緒に病室で控えていました。

夜中になり、看護師さんが救命処置を施してくれました。しかし、心拍数モニターには「0」「横線」が表示されるだけとなります。やがて、医師が「何時何分―ご臨終です」と言い、ドラマで見たような光景が目の前で繰り広げられました。

私にとってはジェットコースターのような展開ですが、病院は遺族に呆然とする暇を与えてはくれません。間髪入れずに看護師さんから「ご遺体の搬送先を教えてください」と言われてしまいます。

勝手な想像ですが、せめて夜が明けるまで霊安室なりに入れてもらえるイメージだったので、こんなにも急かされるとは想定外でした。

情報が少ない私はもちろん、経緯を見守ってきた母・妹でさえ「葬式のその字」も想定していなかったので、私たち3人(※以下「私たち」)はオロオロするばかりです。

しかし、看護師さんも定められた任務があるのでしょう。数分に1回ペースで「先生が寝ないで待ってますので」などとプレッシャーをかけてきます。

時間は夜中の夜中、丑三つ時です。葬儀場を比較検討する時間などありません。母に「思いつく葬儀社はある?」と聞くと、「生協の葬儀社」と言うので、とにかくそこに電話してお願いするしかありませんでした。

もしかしたら、病院と提携している葬儀社があったのかもしれませんが、特に病院側から提示されることはありませんでした。高くつくような気がして、私たちからも質問しませんでした。結果的に生協の葬儀屋さんに頼んで正解だったと思います。

しばらくすると葬儀社の方が迎えに来て、父は葬儀場にて安置されることとなりました。その際、父の遺体が乗った車両は自宅前に立ち寄りました。もう二度と自宅に戻ることは無いことから、このような配慮が行われているようです。

父と母の宗教問題

父の葬儀では、母が喪主を務めることになりました。

クリスチャンの母は、キリスト教式の葬儀を希望しました。父は信者ではありませんでしたので、たぶん母は、父をクリスチャンとして天国に送りたかったのだと思います。

一方、父は長男で、菩提寺にはいわゆる「先祖代々の墓」がありました。そして、葬儀社の情報網がスゴイと思ったのは、父が長男であること、墓がある菩提寺のお寺の名前をシッカリ把握していたことです。

そんな訳で、葬儀社のスタッフは仏式の葬儀前提で話を進めてきたのですが、母がキリスト教式と言い出したので少しばかり揉めました。

最終的には、生前に父本人が「寺の墓に入るつもり」と言っていたことが尊重され、母が折れることとなりました。母が宗教上の理由で一部の仏式儀式に参加できないことは、葬儀社の方がお寺との間に立ち、フォローしてくれることで調整がつきました。

葬儀社としては、葬儀をキリスト教式で行う場合、納骨だけお寺にするというというのは通らない。お寺に納骨をしないのであれば、これを機に「墓じまい」のことも考えたほうが良いと、先のこと見通しての提案も受けました。

言われてみれば全くその通りなんですが、母が「お寺にお墓があっても葬儀はキリスト教式行ける」とユルく考えていたのは、前例があるからだったりもします。

母方の祖母(クリスチャン)が、お寺の敷地にキリスト教の墓を建てていたからです。なので、今の時代そういうのもアリなのかなと思っていたのですが、祖母が適切に「宗派不問」のところを選んでいただけのことだったみたいです。

また、このような問題を抱えているのはウチばかりかと思いましたが、別のご家族は、仏教内の異なる宗派のどちらで式をするか揉めている様子。それに対し、葬儀屋さんは「これを機にどちらかの宗派に統一してはどうか」と提案しているようでした。

喪主の希望を聞きながら、適切な提案もしていく葬儀社の人はやはりプロだなと感じたことでした。

墓守問題も浮上

葬儀社から言われた「墓じまい」という言葉。遠い将来自分も関係するかもとは思っていたのですが、このタイミングで飛び出すとは思いませんでした。

「先祖代々の墓」の管理は、祖母が高齢になり父にバトンタッチされていました。その父が亡くなり、次にお墓を管理する人が定まらなくなったのです。順当に行けば、実家の母・妹なのでしょうが、2人ともクリスチャン故、お寺との付き合いができません。

そして、これからお墓に入る予定なのは父だけではなく、まだ施設で暮らしている祖母がいましたので、私たちだけで決定することができませんでした。

その後、遠方にいる父方のオバたちも駆けつけてきて話し合いになります。意地悪な親戚が私に白羽の矢を立ててきた場面もありましたが、祖母が亡くなった後で、オバがタイミングを見て墓を閉じるという方向で話がまとまりました。

先祖代々の墓とはいえ、変な話、私たちはお墓の中に誰々が眠っているのか(祖父はさすがにわかるが)、誰がお墓参りに来ているのか、少し遠い父方の親戚のことは、ほとんど把握できませんでした。

その点、祖母を中心とする父方の親戚のことは、嫁である母よりも実娘であるオバの方が断然詳しいというのが現実だったのです。

親の葬儀にまつわる忘備録

マメ知識というほどではありませんが、葬儀のことで気になった事を書いていきます。

葬儀費用とお布施

母が生協の会員だったことから、生協の葬祭サービスを利用しました。

お葬式は、お通夜と葬儀の2日間で、近親者のみの小規模なものです。一番簡素なコースで30~40万円くらいでした。

知らなかったのは、葬儀費用とは別に、お坊さんに渡すお布施が必要と言われ、祖父の葬式の時に渡した額を参考に、30万円ほど用意することとなりました。

ちなみに、故人の銀行口座は凍結されるのですが、葬儀で現金が必要になった母が、父の銀行口座からお金を引き出していたので、亡くなって少なくとも数日の間は猶予がありました。

訃報の知らせ方について

親戚へは母が電話連絡してました。

対外的なことでは、葬儀社の方から、新聞などの「お悔やみ欄」に掲載するかどうかを確認されました。あまり知られたくないという母の意向で、掲載は無しとなりました。逆に知らせたい場合は活用することになると思われます。

後日談としては、父と親交のあった大多数の人は、後日発送された「喪中はがき」で父の死を知ったため、しばらくの間、実家にたくさんの電話がかかってきて、母は対応に追われたそうです。

父の年齢を間違えて申告

父は70歳で亡くなったのですが、年明けから「俺は今年71歳になる」と宣言していたそう。父はあいにく誕生日を迎えることなく亡くなってしまいましたが、「今年○歳」って大人になると言いがちですね。

そのため、葬儀場で父の年齢を確認された時、母が釣られて71歳と申告。葬儀の印刷物の年齢が、全部間違いの年齢となってしまいました。私も当時ぼんやりしており、皆で「ハッ」としたのは、葬儀が終わってからでした(笑)

死亡届など、正式書類の年齢を間違えていたらどうしようと思ったのですが、幸い書類には死亡年齢を記入する項目がなかったので、事なきを得ました。

【霊障?】お通夜の晩の不思議な現象

父が亡くなった日の翌日、葬儀場で「お通夜」、翌々日「葬儀」が営まれました。

お通夜が終わり、親戚たちはそれぞれの宿に解散しました。私たちも、疲労がピークに達しており、実家に戻りました。実家には「私の夫」「母方のオジ」も泊まることになります。

その晩、オジが居間のTVをつけようとしますが、リモコンが全く作動せず。真冬でしたが、蓄電式の暖房機も全く温まらず、部屋が冷たいままだったそう。このオジは機械に詳しいので、不思議がっていました。聞くところによると、電気に霊が乗りやすいのだとか。

翌朝(葬儀の日)、母と妹も「昨晩、お父さんが来ていた」と噂していました。

母は寝るとき、父の書斎から「お母さーん」と呼ぶ声、上半身には圧を感じたと言います。「明日お葬式だから」と聖書を抱きしめると、気配は去ったとのことですが。妹も何か普通ではない感じがして、母と寄りそっていたそう。

実家の家族は仏教に疎いし、私もよく知らなかったので、後で「お通夜」について調べてみると、お通夜とは夜通し灯りを消さずに、遺体を見守る儀式のこと。もしかすると、葬儀場に取り残された父が寂しくなって実家に来たのではないかと密かに思っています。

ところで、1階で発生したと思われるオジ、母、妹の不思議体験とは裏腹に、2階で寝ていた私と夫は何も感じませんでした。正直、少し怖い思いをしても良いから、父の最後の挨拶を感じたかったと寂しい気持ちでいます。

葬儀の後

父危篤の一報で帰省した後、10日ほど実家に滞在。葬儀の後は、遺品整理をしたり役所での手続きに同行したりして、手伝えることは手伝って実家を後にしました。

遺品整理の最重要項目は、手続きに必要な重要書類のピックアップでした。父のモノは書斎にまとまっていたので、数日間でだいたい目途がつきました。

自動車を処分

免許を持っているのは父だけなので、運転手を失った車は処分することになりました。

後日、母が中古車販売店に連絡。生前父が担当者と懇意にしていたこともあり、プラスマイナスゼロみたいな感じで処分できたみたいです。

父は基本的に安全運転でしたが、高齢ドライバーとして心配な部分はあったので、生涯事故を起こさなかったことはホッとしています。

納骨

後日、実家の家族がお寺に納骨に行きました。宗教の違いを気遣って、葬儀社の担当の方もわざわざ付き添ってくれたそうです。

お墓に手を合わせたり、線香をあげたりはできないのですが、クリスチャンでも墓掃除などは問題ないので、遠方のオバに代わり、お墓参りすることが習慣となりました。

祖母の家【父にとっての実家の片づけ】

父は急死したため、色々なことが中途半端でしたが、終わらせておいてくれたこともありました。実家とは別にある「祖母の家(父の実家)」を片づけていたことです。

「祖母の家(父の実家)」は、昔は祖父・祖母2人暮らしでしたが、祖父が亡くなり、やがて祖母も施設へ。しばらくは父の別荘のような感じで使われていましたが、近年「空き家」の状態だったのです。

父は、祖母の家の思い出品や家財道具の片づけ、土地売却と更地化を済ませており、祖母の財産として現金化されていたので、いざ相続の際、手間がかからなかったのです。

代襲相続

良くも悪くも父には何も残っておらず、遺産相続は発生しませんでしたが、父の死から1年ほど経った後に亡くなった祖母には土地などの財産がありました。

祖母が亡くなった際、財産は子である父とオバ(2人兄弟)で分割されるハズでした。ところが祖母より先に父が亡くなっています。すると、父が相続すハズだった分は消えずに孫の代(私と妹)に引き継がれます。これを代襲相続というそうです。

法律的には、オバ(二分の一)、私と妹(各・四分の一)という配分になります。

3人とも別々の場所に住んでいますが、オバが中心となり「遺産分割協議書」なるものを作成しました。オバが良い人だったので、円滑に進みましたが、時間がかかったしお互いものすごく気を使いました。

最後に

最初の方に、親戚が2人連続で亡くなったと書きましたが、悪い事は3度続いてしまうのでしょうか。3人目で終止符を打ったのが父となり、この時期、親戚の間では葬式に次ぐ葬式だったので、皆でメンタルが不調になった出来事でした。

私自身も、普段付き合いのない親戚とやむを得ず関わることがストレスとなったのか、白髪が増えてしまいました。

さて、父の遺品整理で、日記帳メモが見つかったのですが、最後の記述が「風邪気味だ」となっていたのが切なく、70歳で急死というのはさぞ無念だったと思います。

この度自分の中で勝手に、志村けんさんと父の姿を重ねてしまいましたが、未だに実感がありません。2人は今でも飄々と生きており、「あのときは大変だったナァ」と静かに語ってくれるのではないかと、つい想像してしまう私です。

以上、長くなりましたが父の急死にまつわる体験談でした。個人的すぎて参考にならないかもしれませんが、こういう話もあるということでご容赦くださいませ。

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